お釈迦さまが、
聞かれても答えなかったものが、
いくつか伝わっています。
『摩羅迦小経』等にあり、
無記と言う。
世界は常住か無常か。
世界は有限か有限か。
生命と身体は同一か別か。
修行完成者は死後存在するのか、
しないのか。
などという、
考えてもわからないもの、
仏道修行に直接関係ないもの。
『火ヴァッチャ経』では、
以上を否定しています。
全ては諸行無常、諸法無我。
始めがあるものは終わりがあり、
あらゆるものは変化する。
同じものはひとつもない。
死後の世界はある、
死後の世界はない、
そのどちらでもなく、
すべては縁と条件によって成り立っている、
と考えるのが仏教です。
人の身体は、
死ぬと火葬して気体になり、
空中へ還ります。大空へ。
そのように変化します。
大空は空、
仕切りがなく区別差別のない世界。
無限の象徴。
遺骨は大地に還ります。
大地はすべてのよりどころ。
心も同じ。
全ては心から始まります。
脳の働きである心も、
火葬によって、
感じる、思う、はからう、識別するなど、
できなくなります。
できるのは生きている人。
性質の点では
心は姿なきこと、
大空の形がないようなものである。
すがたなき心は、
そのまますがたなきさとりと同じである。
(大日経『密教経典』宮坂宥勝)
これは現実世界ですが、
多くの人は
そうではない、
不生不滅の理想、真実世界を考えます。
そんなものがあるのでしょうか。
当然そこに肉体は無い。
では、心はあるのか。
迷いの世界にはみっつあります。
欲界:欲望の世界
色界:物質世界
無色界:精神世界
どれもそれぞれに執着しています。
また、
衆生世間:いのちあるもの世界
器世間:大地や海や国土
智正覚世間:仏の世界
(華厳経疏)
など、
三種の世間が説かれますが、
これも迷いの世界。
これを越えたのが出世間。
ただし、
世間と隣り合わせというか、表裏。
すべては心がよりどころ、
そこから生まれています。
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