何でも名前がついていますが、
これがなかったらどうだろうか。
名前を見る、話すことが、
迷い煩悩・悟りの始まり。
この二つはモノの見方の違いで、
同じものです。
名前があることがすべての始まりになります。
本当はそうでもないのに、
そうでないとわからないから。
だから、どんな名前かは大切です。
真言やお経も名前ですが、
これも意味を知らなければ、
ぼーっと時間が過ぎるだけ、錯覚の。
意味を知って唱えれば、
そこに含まれるものを観ます。
普段の名前、親や上司の名前も、
どの程度理解しているかで、
向こうに見えるものは違う。
お母さんを理解しているから、
お母さんと呼べば解決する。
何を信じるか。
ゴールと、
そこまでの練習方法です。
何をするかしないか。
お母さんの名前をどう感じるか、
どう思うかは人によって違います。
名前は、
意味を理解して、
正しい発音で、
何回も何回も唱えると、
少しづつ何かがわかってきます。
今まで、お母さんと何回呼んだだろうか。
例えば、
お大師さんの御宝号
南無大師遍照金剛
遍照金剛は大日如来
つまり、
お大師さんを拝んで、
その向こうに大日如来、宇宙と無限を見ます。
どの名前でも、
あなたの向こう側にある真実を見てみよう。
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