本当に懺悔しているかどうかは重要ですが、
過度の懺悔は、本覚を誤る可能性があります。
本来仏である、生まれながらに悟っている、
という原則と、
懺悔しなければ始まらないような現実生活をしている、
ということをよく考える。
根本的な戒(いましめ)は不放逸、
怠ることなく修行すること、
いつ死ぬかわからないのだから、ぐずぐずしている暇はない。
密教徒が保つ三昧耶戒も、
慈悲心と向上心と菩提心の実践を、常に怠らないこと。
常に瞑想していること。
真言宗で常用している『五悔』には、
無始より諸有の中に輪廻して
身口意業より生じるところの罪を
仏菩薩が懺悔されたように
私も今、ことごとく懺悔します
とあります。
仏菩薩のように、
つまり、悟りを求めるために懺悔します。