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南無大師遍照金剛の唱えかた

仏教と密教

暑い時、
水分より野菜や果物のカリウムのほうが身体を冷ます、
と僕は考えています。

それはさておき、
『般若心経秘鍵』からいくつか引きます。

「無辺の生死しょうじ、何んが能く断つ
 唯だ禅那ぜんな正思惟しょうしゆいのみ有ってす」
(いつまでも続く迷いは、
 深い落ち着きと、
 正しい考えを修行することで
 断ち切ることができる)

「夫れ、仏法遥かに非ず、心中にして、即ち近し」
(仏の教えは遠くにあるのではなく、
 自心にあり、自心のものである)

「真如、ほかに非ず、身を棄てていずくにか求めん」
(真理を悟るものは、自分自身である)

「迷悟我れに在れば、発心すれば即ち到る」
(迷いも悟りもひとごとではなく、
 自分が体験することである)

「明暗他に非ざれば、信修しんじゅすれば忽ちに証す」
(世界は自分の心のありかたによって、
 たちまちにその姿を変える)

「哀れなる哉、哀れなる哉、長眠じょうめんの子、
 苦しい哉、痛い哉、狂酔の人。
 痛狂は酔わざるを笑い、
 酷睡は覚者を嘲る」
(酔っ払いが飲まない人を笑い、
 眠っている人が覚めている人を嘲るのは、
 なんとも哀れで気の毒である)

「龍に蛇のいろくず有るが如し」
(形は似ているが、内容はすっかり違うものがある)

「三界は客舎かくしゃの如し
 一心はこれ本居ほんこなり」
(人生は旅に宿る仮の姿、
 心こそ、まことのよりどころ)

「医王の目にはみちに触れて皆薬なり、
 解宝げほうの人は礦石こうしゃくを宝と見る。
 知ると知らざると、何誰たれが罪過ぞ」
(名医はあらゆるものを薬とし、
 名工は宝石を見出す目を持っている。
 薬を薬として見ない、
 宝石が宝石と見えないのは、
 それを見出す力の無いものの罪である)

このようなお大師さんの言葉を思い出し、
味わいながら、
南無大師遍照金剛と唱えます。
その声が
あの人の耳に届いて、
あの人もお大師さんの言葉を味わいながら、
南無大師遍照金剛を唱え、
それが私の耳に聞こえ、
またそれを味わう。
南無大師遍照金剛の音と心が交流する。

そうイメージしながら唱えます。
先祖供養なら故人に向かい、
普段の三密行なら本尊へ向かい、唱えます
本尊とは自心、実相ありのまま無相すがたなき 

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