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般若心経の功徳

仏教と密教

「『般若波羅蜜多心経還源述』には、
 清浄な心をもって身を清め、
 清潔な衣を着て正身端坐して、
 この経典を一回に五百遍読誦するならば、
 九十五種の邪道を除去することができ、
 またこの経典に随従して生活すれば、
 一切の苦厄から解脱することができる」
(『仏教経典散策』)

九十五種の邪道は、仏教以外の教え。

この経典に随従して生活すれば、
とはどういうことか。

般若心経冒頭に、

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄

行者が深い智慧の修行をして、
モノも心も空であると観た。
すると、
すべての災いや苦しみから抜け出した。

空は印象です。

私には身体とか感覚があるだけで、
私という本体は無い。
いろいろな関係性から、
私という名前をつけているだけ。

何もかもがそうだという。

悟りもないから求める必要もない
煩悩も無いから嫌って離れることもできない。

私も私以外も、
初めがあり終わりがある。
初めがあり終わりがあるものに実体・本体はない。
どこにあるの?
実体のないものは不生不滅である。

そんな感じ。

どう思います?

実体のないものにとらわれるな、
すべて仕切り囲いがあって名前をつけているだけ。
それを取り外せ。

それぞれの都合によって、
名前をつけて仮にあるものばかり。
変化していつかは無くなる。
だから、迷うものもない。
錯覚が無くなる。
心は平安になる。

ものは空である。
実体はない、イメージである。
作らなければない。

智慧の瞑想とは、
仕切りをなくすこと、
分別をなくすこと、
ありのままをすべて知ること。

ありのまま、
自分の分別は無い。

優等生達人の印象かな。

でも、これとは違う見かたがあります。

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