あらゆるものは動いています。
寝ている時も、内臓や血液が動いています。
枯草も、その中では腐敗や発酵などが進み動いている。
川が流れ、月星が動き、
止まっているものは何も無い。
これを、諸行無常と云います。
すべての物事は移り変わり、変わらぬものなどない。
現象界は、ぢっとしていない。
なぜなら、
刻々と因縁関係が変わり、その相互関係の下に個々の現象が生じているから。
水(本体)と波(現象)のように
現象界の裏には本体があり、それはぢっとしていない。
無常でうつりかわるから、他との関係より孤立した、そのものだけの個性は無い。
自分の中で云えば、自我は無い。
自我はないから、それに旨いものを食わせたり、おしゃれをさせたり、
しあわせとか権利を求める必要はない(できない)。
そう考えると、
いのち、しあわせ、慈悲などは、
元々誰にも具わっている、自身そのものかもしれません。
みな、智慧と慈悲の水であり、
時々波立っては消えるだけ。