『般若心経』に説かれる
阿耨多羅三藐三菩提。
サンスクリット語:anuttarāṃ-samyak-sambodhiṃ
の訳。意味は、
最も優れた正しい完全な悟り。
無上正等覚、正覚などとも云います。
samyakを辞書で引くと、
正しく、正確に、真に、当然に、全く、完全に
などとあります。
何が正しいのか
お釈迦さんの重要な覚りである四諦八正道では、
迷いの世界は一切が苦であり、
苦の原因は煩悩・妄執、渇愛であり、
それを滅すれば、苦を滅し、悟りへ到達する。
その滅する方法は、八正道による。
八つの正しい道、
これも、正しいとはどういうことか。
『釈尊の譬喩と説話』には、
仏教の「正しい」という概念は、「中」を意味するのである。
かたよらないこと、バランスのあることを意味している。
とあります。
陰陽望診法で観ると、
人間の陰陽は7~5:1くらいでバランスがとれます。
KとNaのバランス。
最近は食事も環境も陽性過多が多いので、
求心力が強すぎる、
それで、ちょっとバランスがとれていない場面が多い、
と考えています。
「中」とは中道。
対立する二つのことがらから離れること。
極端な立場を離れて、かたよりの無いこと。
例えば、
あらゆるものはある、
あらゆるものはない、
どちらにも執着しないこと。
琴の弦の例えがよく用いられます。
弦は、強く張りすぎても、緩すぎても良い音はでない。
普段の生活では、
怠けてばかりいない、
張り詰めすぎない。
八正道の中に正見があります。
正しい観察。
上記の四諦を正しく知って、世間を見ること。
全ては縁起の法則にしたがっていることを見ること。
すべては変化し、固定的ではない、
原因と結果がつながっている、
と観察する。
原因の根本は「本来のありのまま」である。
自分も、自心も、自分以外も。
この正見は、
戒めと、心の静寂を保つ、
という正しい生活によってもたらされる、
と考えています。
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