だいたいこのへんだな、
と理解しても、
どこからどこまでがお尻なのか。
ずっと続いてひざの裏、
かかと、
足の裏も続いているからお尻である。
背中もお腹も、手も。
なので、
手をつなぐ、
お尻を触る、
は同じことである。
そこは手ではなく、
尻であるから。
お尻や手と区別してみるか、
全体がお尻である、
と覚れるか。
いやいや、
お尻なんかどこにもない。
全部皮膚である、
身体である、
と全体的にみるか。
そこはお尻ではなく、
皮膚であり、肉体である。
個別に見るか、
全体ひとつとみるか、
心も同じ。
そして、
あらゆるものは縁と条件、
原因によって成り立ちます。
例えば、
身体は何でできているのか。
元素、素粒子・・・・・。
どんどん追及していくと、
最後のひとつにたどり着くでしょう。
そのひとつは何から生まれたのか。
ひとつしかないのだから、
縁も条件も、原因も無い。
大空も、建物も、同じように、
原初が見つからない。
それを、
生じないありかた、ありのまま、
と見る。
本体が無いのだから、
生滅が無い、と。
これは感覚的、直観的です。
「自分」も「心」もそう。
そのような状態では、
執着も善悪も美醜もない。
ありのまま。
よくよく考えてみれば、
私も心もお尻も無い。
そんな感じ。
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