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発見という悟り

仏教と密教

何かを続けると、何かを発見します。

心は自由で放し飼い状態。
あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。
でも、
目的を定めて、
強く思えばそこへジャンプします。
強く思えば、
それを妨げるものから、自然と離れます。
だから、
だめだなあ、と思わないで、
目的があれば、それを強く思い続ける。
すると、
それに足りる行い、勉強をするようになります。

仏教の基本は懺悔。
懺悔の礼拝を10万回くらい続ければ、
仏教の勉強をする土台が出来上がります。

なので、
その後の勉強もトレーニングもわかりやすい。


観音様の勉強をしたいと思えば、
まず、観音様の真言を10万回くらい唱え続ける。
そうすれば観音を拝む基礎ができます。

ただ静的に坐っていてもわからないけれど、
唱えることで身体に染み込むものがあります。
意味(実相)と音(説法の内容)とが伴うから。

何でも続けると、
あ、わかった
という瞬間があります。

それが悟り。

国語算数英語の練習問題や、
キャッチボールや素振りに似ているかな。

身体と心、両方を使う。

仏教の場合、
実践的な瞑想念誦と、
理論的な勉強は必ず平行して進めます。
錯覚妄想勘違いを防ぐため。

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