『遺誠』に、
「かくの如くの諸の戒は十善を本となす。
いわゆる十善とは身三語四意三なり。
末を摂して本に帰すれば、一心を本となす。
一心の性は仏と異なることなし。
我心と衆生心と仏心との三心、差別なし。
この心に住すれば、すなわちこれ仏道を修す」
とあります。
つまり、
真言の修行をする人、
真言宗の信者とは、
一心に生きる人のこと。
個別心ではない全体心、
虚空のような本来の心、
仏と自分、
自分と自分以外の区別を越えた、
全体を包む心。
全体(思惟できるあらゆるもの、宇宙法界すべて)を包んでいますから、
そこには慈悲と智慧が無限にあります。
イメージしてみましょう。
自分の心は今、胸中にあり、形は満月のよう。
円満で光輝き、欠けることがない。
それが大きくなって
宇宙大になる。
また、イメージします。
真言を唱え、
その意味と音が法界に遍満すると。
真言が宇宙大になる。
無限に大きくなるから、
それだけになります。
そう思うだけです。
その中に、
やさしさと思いやりと、
向上心と、
存在とは何かを知る最勝の智慧と、
寂静でまとまった静けさ、
を見つけます。