『理趣経』第一段は、
説一切法清浄句門
あらゆるものと思いと行いは清浄である教えを説く
と始まります。
この清浄は
汚れていないこと、
自他の区別がない状態
自分と仏の区別がないこと
自分と仏が平等であること
同じように、
全ては仏であるから、すべては平等であるという清浄さ。
普段は、
自分の周囲も自分の心の中にも、
不浄なものがあると考え、思っているけれど、
仏の悟りの立場から見ればそうじゃない、ということ。
そして、最後に金剛薩埵の悟りである、
欲:智慧の完成
触:寂静の完成
愛:大慈悲の完成
慢:大精進の完成
に到達します。
ですから、
理趣経に書いてある修行をして、
全てを救済する大きな欲をもつことで、大きな楽しみを得る。
かけがえのない大きな楽しみによって悟りに触れる。
悟りに触れることで、最高の結果を得る。
最高の結果を得る、つまり貪り・いかり・無知を越えることで、
全宇宙の自在の主となれ、
その時、すべてのいのちあるものを悟りへ導くことができる、
と説かれています。
我即大日という、
本来の自分を見つけ出して、それによることが自由自在。