一切衆生は本来仏。
覚っているけれども、それを知らずに欲望にまみれ、迷っている。
けれども、
本来仏であるから清らかで、
みな平等。
この、
本来清らかであることは,
信じるしかないのだけれど、
その清らかさを讃え喜び、自他の心に広げる。
全てが清浄なる喜び、
という瞑想。
秘蔵記21には、
これは意識であり、
違いを見極める智慧であり、
不害を喜とする、
とあります。
そして、
人は心が清らかな時に喜びます。
何か引っかかり、濁りがあると喜べない。
喜びに包まれれば不満が消えます。
好きな人も嫌いな人もどちらでもない人も、
みんな清浄であると喜ぶ、
そういう祈り。