私たちは本来清浄である。
そういう立場があります。
これは信じるしかない。
清らかな満月のような悟り、仏が自分の中にある。
心臓、肝臓、肺、腎臓、脾臓や、
たくさんの細胞があるように、
私の中に仏がある。
本来清浄というのは仏のこと。
たくさんの細胞がそれぞれ仏かな。
内臓が不調でも、癒すことができて、なくならない。
仏が見えないこともあるけれど、
仏があることに心を向ける。
新しいシャツが着ているうちに汗と埃で汚れるけれど、
汚れを気にするのではなく、
洗濯してきれいになればいい。
悟りの満月は迷いの雲に隠れるけれど、
迷いを取り除くよりも、
満月はある、そっちへ心を寄せる。
そうすれば雲は関係ない、
どこかへ行こうとしたら、道が大渋滞。
でも、いつかは着くのだから、
渋滞を嘆くのではなく、
目的地に心を寄せる。
そうすれば渋滞に悩む心は解消され、
目的地である仏が現れます。