仏教に如来蔵、仏性という言葉があります。
如来蔵:
僕らの身心は如来の住居。
仏性:
僕らが持っている仏になる(覚る)可能性、本質。
可能性というのは無限ですから、
心は無限。
迷いの垢がついていないからきれい。
「六道四生(どんな世界も、どんな生まれでも)の一切衆生は皆如来蔵を具し」
(『慈無量心観』)
「一切有情は如来蔵なり」
(『理趣経』)
「蚑行蝡動何ぞ仏性なからん」
(『性霊集』52)
「それ有形有識は必ず仏性を具す
仏性(衆生の中にあるもの)、法性(非衆生の中にあるもの)は法界に遍じて不二なり」
(『性霊集』99)
「卒塔婆は鑁の一字の所成なり。
また阿卑囉吽釼の五字の所成なり。
一一を取るに任せて、自性清浄心とも、
真如とも、仏性とも、如来蔵とも、
法性とも観ずべし」(『秘蔵記』29)
なので、
総ては自性清浄、
これが本源。
何があっても、
行き詰まりがあっても、
もめごと悩み苦しみがあっても
それでも、
その源にある、
本性の心は何にも染まらずきれい。
自分も相手も、
すべての存在も。
きれいで無限
それを思い出せば、
うまくいきます。
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