煩悩をそのように訳すことがあります。
栂尾先生は、
「わずらい」とも、ふりがなしています。
煩悩のいちばんは、無始の間隔。
『菩提心論』には、
「むかしよりこのかた、
衆生と仏とを隔てする微細のまよい」
とあります。
この迷いは、
密教の瞑想行で除かれます。
そして、仏位に入る。
ポピュラーな煩悩が三毒。
貪欲、瞋恚、愚癡
貪り、瞋りは愚かさから生まれます。
この愚かさとは、
事実と噂話を区別しないこと
無いものを有る、とすること
考えが足りないこと。
確認しないこと。
迷いも悟りも心から生じます。
心のありかたに過ぎません。
自分で迷い苦しむか、
広々と平安になるか、
どうにでもなる。
世界は真実の顕現である、
という立場なら、
自心をよくよく観察すれば、
曼荼羅諸尊(真実)が自心の源底にある
と考えられます。
よくよく自心を知る
みな平等で違いがあると知る
そして、
どこでもいつでも、
仏、さとり、真実、無限、平安を観じます。