すべては、
原因と条件によって生じるものであるから、
自分の力で現れたのではないから、
それ自体、空である。
実体はない、
仮である、
ナンチャッテである、
消えてなくなるもの。
あらゆる存在するものは心の表れにすぎない。
心と存在するものはひとつでもなく、
異なったものでもない。
そんな風に観想します。
達人の心は、
すべてのものを分けないから、
判断するとか判断しないという立場を越えています。
大地は、あらゆるもののよりどころ。
達人の心もそう。
水は、すべてを潤し、いのちを支えます、
心もそのように、
潤し、熱悩を冷まします。
火は、なんでも焼き尽くすように、
心は、迷い苦しみを焼く尽くします。
風は、すべての塵を吹き飛ばします。
心も迷い苦しみを吹き飛ばします。
それで、
私は、
すべては本来的に不生であること。
つまり、
万物が無限であること、
または、万物はもともと存在していて、新たに生じたものではない、
不生だから、
言葉で表現できない
生じないから、
罪過から解放されている、
原因と条件とに束縛されない、
そして、
空の智慧が大空に等しく
無差別無染無着である、
区別しきりがなく、ひとつ
と観察します。
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