きれいな中秋のお月さまでした。
悟りの心を形で観じると満月、
文字なら阿字、
と『菩提心論』にあります。
さらに、
もとからある悟りの心を観察すると、
満月の光の虚空に遍満して、
恍惚としてあらゆる「はからい」をはなれたる如く。
満月の円明なる本体が、
まったく悟りの心のそれに類似するがゆえ
とあります。
月は雲に隠れることがあるけれど、
月が無くなるわけではない。
悟りも同じ。ずっと最初からある。
密教の修法は月に坐ります。
悟りの中に飛び込んで拝む。
月に居るから、雲があっても関係ない。
さて、
胸の正中に手を当てて、心臓を感じましょう。
それは常に動いています。
生命をキープしています。
求心力と遠心力という陰陽の力を振動させながら、
血液を流して熱悩を取り払っています。
『大日経疏』には、
凡夫の心臓hṛdayaを八葉の蓮華(心蓮)に喩え、
これを観じることで仏身を開顕する
とあります。
心蓮は菩提心(悟りそのもの)
手を当てている胸の中に、
菩提心の象徴である満月がある、
と観想します。
最初は数分、
慣れてきたら時間を延ばします。