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空である心を探る 1

仏教と密教

宮坂先生の『大日経』(東京美術)には、

「まず、悟りとはありのまま
 自らの心知ることぞ
 秘密主よ
 無上の悟り得ることは、
 悟り求むるこの心
 離れてなどかあらざらん」

「形なき空の如くに
 悟りこそまた形なく
 悟りのすがた知りがたし
 知り尽くすこと難しといわん
 悟りの様は、形なければ。
 秘密主よ
 存在もの悉く移ろいて、
 大空の如、形なし」

「自心に悟りと全智とを、
 尋ね求むるためぞかし。
 人皆誰も、自心こそ
 その本性清くあればこそ」

悟りとは、
自心の空性を知ること。

『金剛頂経』では、

自己の心を各各に観察する三昧によって
菩提心へ通達する。

『大日経』にはその後、

「心はどこにあるのか
 心は私たちの内部にはない
 心は外部にはない
 心は私たちのない内部と外部の中間にもない
 心は青・黄・赤・自・紅紫・水精のいずれの色でもなく,
 また明でも暗でもない
 心は長でも短でも円でも方でもない

 心は男でも女でもない

 心は、見る、聞く、嗅ぐ、食べる、触れる、思う先にもない。

 心は不可得、つまり把握できない

この、不可得を体験することが、
心をありのままに知ること、

と考えています。

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