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地獄を想う

仏教と密教

宗教は、
ものの思いかたを練習する、
という面があります。
仏教なら現実世界をどう認識するか。
存在の分析(自分とは何か、世界とは何か)

心は自由ですから、
何でも無限に思うことができます。
現実が極楽だと思うか、
地獄と思うか、
自由自在。

朝、目が覚めた時は極楽
日中は地獄の人間関係
夜は暖かいお風呂と食事で極楽。

地獄にもいろいろあるようですが、
『地獄八景亡者戯』によると、
三途川で亡者の衣服を剥ぎ取る脱衣婆(正塚婆)は、
もういない。

亡者の服をはぎ取る、
というシステムそのものが無くなったみたい。

仕事が亡くなった正塚婆は、
閻魔様の二号さんになったらしい。

針の山、血の池、焦熱地獄、極寒地獄、賽の河原、阿鼻地獄、叫喚地獄

地獄の特徴は、
いじめられても切り刻まれても、
熱湯の窯に入れられても、氷漬けにされても、寒くても、
死ねないこと。
もう、死んでますからね。
繰り返し地獄の責めがって、
苦しいだけでそれが続く。
希望がない。

現世も生老病死や、
好きな人と別れる、
嫌いな人と会う、
欲しいものが手に入らない
など苦しみばかり。
苦は思い通りにならない、ということです。
ですから
思いかたを変えれば苦から離れます。
地獄ではどうなのだろうか。

そもそも、地獄や極楽など、
ふたつに分ける感覚が、根本的な苦の原因。

好き嫌い、右左のように、
立場の違い、見方の違い、
ふたつだけれど、ひとつ。

極楽も現世も地獄も見た目は同じでしょうね。

何を思っているかの違い。
希望の有無の違い。

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