仏教の基本である三法印を、
三井英光先生は『曼荼羅の講話』のなかで、
真実相を照見する三法印、と書いています。
諸行無常(すべてはうつりゆく)
諸法無我(どこにも自己はない)
涅槃寂静(悟りの世界は平安である)
どんなものも固定的でなく、動いて変化しています。
生まれては死ぬ、生じては滅するを繰り返している。
どんなものも思いも、
何かと関係していて、独立したものは無い。
そういうことを体験すれば、
心は寂静。
変化するのだから、こだわり執着は心の無駄遣いかもしれない、
古い蔵が壊れ潰れたら、
そこには部品道具材料の瓦礫があるだで、蔵はどこにもない。
そのように、自分というものも無いと知れば、慈悲に溢れるかもしれない。
無常、無我は事実です。
そして寂静は体験。
右左、前後、上下などと同じように、
現実には始めと終わりがあります。
その間、常に変化しています。
初めの印象が大きければ、終わりの印象も大きくなるでしょう。
これらは頭で理解できます。
それに執着している自分を吹き消して、
静かでまとまった心になる、
というのが仏教体験であり、
全ての苦しみ悩み迷いを解決する方法です。