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覚った人に逢ってみたい、逢いたい

仏教と密教

私はサラリーマンの息子で、
同じように会社員生活を経てから、
高野山へ行きました。

出会った仏教はおもしろく、
師事した先生はすばらしかった。

仏教は実践的な宗教であり
勉強と瞑想という実践で、悟りに至る、
この身のまま成仏する。
それが目的。

光明さとりの世界があることは、
いくつも説かれています。
ならば、
覚った人に逢いたかった。

それはどんな世界なのか。

「谷響きを惜しまず。明星来影す」
(『三教指帰』)

「円明を観ずる
 これ至極の義なり」
(『秘蔵記』66)

「諸法と本尊と行者と
 この三差別なく法界に周辺して円融無礙なり」
(『入法界観』)

「自ら身を見れば仏となりぬ。
 衆相みな円備せり」
(五相成身観 諸仏加持)

「初観の時には月ににたれども、
 周辺の後には更に方円なし
 久久しく観を作して観習成就するときには、
 延促をもちひずして、唯明朗のみを見る」
(『無相観』)

話し合う人が欲しかった。
同じ志の人を探し、
たくさん話を聞きました。

でも、
逢えない。

そんな人はいるのだろうか。
ここ20年くらいは、
諦めていました。

武内先生の、
『空海はいかにして空海となったか』
に心震える文章があります。

『性霊集』巻第五42 青竜の和尚に衲の袈裟を献ずる状 

空海は、仏典を読んで覚りの世界があることを知り、
ぜひ覚った方にお逢いしたいと考えます。

唐へ行けばお逢いできるかもしれないと考えて、
唐へ渡り、
お逢いすることができた
恵果和尚がまさにその人であった。

覚った人に逢えた。

僕はあと何年生きるのだろうか。
覚った人に逢えるのだろうか。
逢いたい。

それが、今の目標。

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