同じく『大日経開題』に、
仏は忍辱の鎧・精進の甲を以て持戒の馬に乗り、
定の弓・慧の箭を以て、
外には魔王の群を摧き、
内には煩悩の賊を滅す。
故に仏と称すなり。
とあります。
何事にも耐え忍ぶことが鎧。
真面目に続けるという甲をつけ、
戒めを保つ馬に乗り、
心静かにまとめることが弓、
ありのままに知る智慧の矢、
これで、
外に向かっても内に向かっても、
迷い煩悩を滅ぼす。
仏とは、
生じることも滅することもなく、
固定的なものでなく、
愚かさの迷いから離れて、
善が映し出されたもの。
姿形が必要な者には、
すべてのものは幻の如く、
はかないものであることを示し、
五感の認識を超越しており、
それは自性清浄心のこと。
仏=万物が、
本来的に生じることも滅することもないと分かれば、
それは、 言語表現を超越していること
罪過を解脱していること
原因と条件とに束縛されないこと
そして、
遮るものなくすべてを包み込む大空に等しいと知ります。
自分の心のことです。無限の。
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