胸中に明瞭な満月を観想する、
これが密教の基本です。
どんな作法でも、みな満月。
所作によって、満月の上に梵字や仏具や仏像を観想し、
その意味を捉えますが、基礎は満月。
なぜ満月かと言えば、
「一切有情はいずれも完全な仏の心(菩提心)を蔵しており、
その本具の当体を観察すると、
その形まったく月輪の如くなるが故である。
・・・
満月の円明なる当体が、
菩提心のそれに類似しているからである」(『菩提心論』)
悟り、本性清浄心である満月を観想すると、
バッテリーに充電するように、仏が入ります。
その時はまだ、
自分と仏を隔てる微細な迷いがあります。
これでよいのだろうか、という迷いや、
これで良いのだ、という迷い。
拝んでいると、少しづつ、
自分と仏、
自分と自分以外、
月と月以外、
その迷い(差別と執着)がなくなります。
「以後に月輪を法界に周遍せしめて、
にわかに須らく身と月輪とを忘れて、
専ら無分別智に住すべし」(『秘蔵記』)
「初観の時には月に似たれども、
周遍の後には更に方円なし」(『無相観頌』)
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