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なぜ考えるのか

仏教と密教

人間はいつも何かを考えています。
思考しなければならないようにできている。
それによって、矛盾やトラブルが生じ、
苦しみ、迷いにつながります。
そして、
思考することで苦に出会い、
その苦を逃れようと思考します。
考えなければ、そうならないのに。

昔々、後のブッダが、
苦行の後に、すべてのいのちあるものの運命を追体験します。
つまり、
現実世界を、上空から見て、僕らが何をしているかを知るようなもの。

そこにあったのは、
苦・集・滅・道の四諦です。

人生は苦であり、
その原因は煩悩・渇愛であり、
それを滅すれば、悟りの境地へ至る、
しかも、その滅する方法はある、
ということ。

人間的な生が苦であるのは、
それは世界の本質が渇愛(もっと欲しいという欲望)であるから。
永久にかなえられない、思い通りにならないから苦になります。
その欲望の中心は性愛的な力。
それによって、生き延びることができるから。
その、性を本質とする生の流れを阿頼耶といいます。蔵のこと。
この流れのなかで生じる、人間の苦の根本原因は、
意識されない自覚されない渇愛。

しかし、
この渇愛は滅することができます。
八正道という修行、正しい生活法によって。
その中心は梵行、つまり、一生の間、貞潔を保つことです。

しかし、
それはほとんどの人には無理、できない。
子孫を残すこともできない。
本来、仏教的な悟りは、人間的なものを捨てるのです。

しかし、金剛頂経では、
一切如来の真実を知ることによって、
人間的な慈悲を持ったまま、
成仏できる可能性を示してる、
と僕は考えています。
それが、五相成身観などの三密行なのですが、
重要なのは、
これは思考されている範囲である、
ということです。

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