心は、
部分(私)から全体(仏・宇宙)へ広がります。
私の性質は、全体の中で完成され、
全体から見れば、私は(孤立的に)存在しません。
宇宙の中にあって、一体。
宇宙が私の身体とすれば、
私はどれかの細胞のひとつ
私(自心)は仏・宇宙のひとつのパターンです。
心が個別から全体に広がる時、
その過程が、心全体の構造になります。
例えば、
生存欲だけの心から、
道徳心や信仰が生まれ、
みんなが幸せになるようにと思い広がるその過程。
宇宙のすべてと私は
何らかのつながりがあります。
別々ではない。
ですから、
私(自心)を理解することは、
全体である仏・宇宙を理解することです。
世界の存在は
みな違う姿、働きがありますが、
どこかでつながっているのですから、どこかで似ています。
生きているとか、
呼吸をするとか、
存在しているとか
元素で構成されているとか。
大日如来と人間はそっくりです。
密教瞑想では、
私が大日如来(仏・宇宙)と似ているならば、
ちょっとした見かたで同一と考えてよろしい。
行い、言葉、想い
によって、
私が再構築されて大日如来(のよう)になります。