拝んでいると、
仏の働きと生命が、身の内からあふれ出ます。
内側から仏が出てくる。
その辺のことを
『蓮華部心念誦軌』には、
「諸の如来弾指驚覚して告げてのたまわく
善男子汝が所証の所はこれ一道清浄なり」
『声字義』には、
「衆生痴暗にして自ら覚るに由なし
如来加持してその帰趣を示したもう」
自分の努力だけではなく、
内部の仏のほうから声をかけてくれる。
仏性とか如来蔵から驚覚される、
ということなのですが、
この声は、
罪悪感のある人のみ、聞こえる、
うしろめたさがある人にのみ、
自心即仏が分かる
と教わりました。
罪悪感ダラケです
すばらしい