
十一面観音は美しいけれど、
顔が十一もある異形。
そんな人はいない。

阿弥陀如来も美しいけれど、
極端に質素、
半裸、飾りなし(例外アリ)
そんな人はいない。いるかな。

不動明王はかっこいいけれど、
火の中にいて、
左の目を閉じ右の目を開き、
下の歯で右上の唇を噛み、
左下の唇の外へ出す。
そんな人はいない。

大日如来は人間と同じ姿で、
装身具を身に着け、
美しい。
私たちと同じ
似ている。
似ているものは同じと考えてもいい。
大日如来は、
真理の本体
宇宙と同じ。
行い、言葉、想いが宇宙と同じ。
主観と客観が同じ。
私たちは大日如来の三昧耶形。
真実の現れ。
ありのままであれば、
大日のおこない、ことば、おもいになるはず。
大日如来を想いリラックスして座り、
真言を唱え、
大日の境地、自他の仕切りを無くす。
主体と客体が一緒になる
宇宙の中に私がある、
私の中に宇宙がある。
そう、思いましょう。
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