拝む対象である仏、本尊とは何か。
「自心はすなわち実相なり。
実相はすなわち本尊なり。
本尊はすなわち自心なり」(秘蔵記75)
「我が本来自性清浄の心は、
世間出世間において
最勝最尊なり。
故に本尊と言う」(同41)
「この人(観自在菩薩)と
法(種子)と
蓮(三昧耶形)は
いずれの処にかある。
本来一切衆生の心にあり。
この心と仏と衆生の三種は一体の異名なり」(法華経開題)
悟りの心=大日如来=秘密荘厳心ですが、
「秘密荘厳心とは、
すなわちこれ究竟じて自心の源底を覚知し、
実のごとく自身の数量を証悟す」(十住心論」
つまり、
自心とは仏さま(本尊)の別名、
といって良いでしょう。
本堂などで拝む場合、
本尊の前2~3メートルくらいに坐ります。
自宅の仏壇やお墓ならもっと近いかな。
もう少し離れたところ、
例えば、
本堂の外から
仏間の隣の部屋から
拝むこともできます。
さらに本尊から、
10メートル、100メートル、1キロ、10キロ離れても拝めます。
仏(本尊)は、
自心を中心として
車輪のようにどこまでも拡がっています。
そして、
本堂仏壇などにある、
イメージとして作られた本尊から1センチでも離れれば、
もうそこはリモート。
どれくらい離れようが、
自心仏が見えているかどうかの問題です。