『ミリンダ王の問い』(Milinda Pañha:『ミリンダ王問経』『那先比丘経』)という経典があります。
紀元前2世紀ころ、
インドにも勢力を広げていたギリシャのミリンダ王と、
インド人の比丘ナーガセーナ長老の問答。
東西の思想が交流し、読みながらドキドキします。
その中に、
無我を主張する仏教では、我が身体をどう考えるのか、
とミリンダ王が問います。
ナーガセーナ長老は、
清浄なる修行をするために身体を保護する
と答えます。
身体に執着しないけれど、
修行を完成させるために身体を大切にする、
ということ。
怪我をしたら絆創膏や包帯や薬で傷を保護するように、
身体をあたかもキズのように保護する、
と長老は言います。
身体は傷のようなもの、
怪我をしたら傷の手当をするけれど、
その傷に執着しているのではない。
ちょっと違うけれど思い出したのが、
覚鑁さんの『一期大要秘密集』
そこに、
一に身命を惜しむべき用心門
「寿限未だ決定せざるの間は身命を棄捨すべからず。
且つは仏教に祈り、只医療を加え、もつて安身延寿の方術とせよ。
これいたずらに躯命を愛するにあらず、
唯真実の教えを守るの結縁を厚くせむと欲するなり」
寿命がある間は、身命を大切にするべき。
仏教に祈り、医療を加え、健康になる生活をしなさい。
これは身命に執着するのではなく、
真実の教えに近づく修行をするため、
という感じかな。