『ミリンダ王の問い』からもうひとつ。
修行にどんな意義があるのか、
とミリンダ王が尋ねます。
苦しみを滅する修行なら、
苦しみがやってきてから修行すればよいではないか。
苦しみがないのに修行する必要はあるのか。
ナーガセーナ長老が答えます。
時が到来してはじめてなされる努力は、
実はなすべきことをなさない。
あらかじめなされる努力こそ、なすべきことをなす。
喉が乾いてから井戸を掘るのではなく、
空腹になってから田植えをするのではない。
努力は、あらかじめなされるべきことである、
ということ。
つまり、
修行はいざというときのための準備。
もちろん、
何ごとに対しても準備するのは大切。