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理趣経散策

仏教と密教

『理趣経』にはいくつかの種類がありますが、
真言宗で常用しているのは、不空三蔵訳の
『大楽金剛不空真実三摩耶経
 般若波羅蜜多理趣品』
金剛頂経十八会中第六会の部分訳。  

曼荼羅諸尊の悟りの境界が説かれています。
宇宙の真理を見るものと、
見られる宇宙の真理そのものが、
一体になっている世界観。

理趣経は般若経典のひとつですから、空を説いています。
空の大楽、大楽の空、
そして、すべては清浄である、と。

大山公淳先生の先徳聞書集成にある題目についてを拾うと、
大楽金剛:mahā sukha vajra
不空真実:amogha
三摩耶 :samaya
経   :sūtraṁ

mahā sukha vajrāmogha samaya sūtraṁ

般若波羅蜜多:prajñā-pāramitāは「私家版・般若心経開題」に書きました。

理趣はサンスクリット語のnaya
梵和辞典では、
・に導くこと
・行状、態度、行為
・理趣
とあります。

この経題を、『和文経典』では、
「大楽のほころびなきを
 むなしからず必ずすべてに
 与えんとの誓いの経
 妙慧による超越への道」  

松長先生の『理趣経』では、
「絶対的な楽とは金剛のようなものである。
 ダイヤモンドのように堅固な絶対的な楽しみを必ず与える、
 という真実なる悟りに至る」経典
と訳しています。

では、言葉を見てみましょう。

大楽:mahāは、
大いなるもの、すぐれたもの。
辞書には、
・大きな
とある。
sukhaは、
・軽快に走る
・快い
・楽しい、温厚な
・安楽 慰安 快楽 享楽 幸福 歓喜
とあります。

大楽は絶対的な楽、
愛憎のように、裏に苦を持たない、苦に戻らない、執着がない、無我の楽。
『理趣経開題』には、
大楽金剛は金剛薩埵の異名
とあります。
自分の楽しみのために作業をして、それが衆生を利益することになる、
妙楽のなかに、金剛薩埵の三摩地、とくに殊勝とす、ゆえに大楽という。

金剛はサンスクリット語:vajra
梵和辞典には、
・雷電 特にインドラ紙の雷電または金剛杵
・神話的武器 破壊的呪文等に適用される
・金剛石
・金剛
大山先生の集成・理趣経の頁には、
壊れない、宝中の宝、勝つ道具
菩提心堅固の徳
とあります。

不空真実のうち、不空はamogha
辞典では、
・空ならざる、誤らざる、確実なる
真実の菩提心のこと。
『開題』には
不空は無間、自分の悟りの大楽と、
他を悟りに導く大喜、
これに間断ないから。

そして、真実は、
虚偽に嫌う名
辺邪に異なるの称
とあります。

三昧耶はsamaya
辞典では、
・一緒にくること、会合の場所一致、同意、契約
・時

『開題』に、
三摩耶(三昧耶)とは等持といい、
平等・摂持の意味であり、入我我入の概念である。
あるいは誓約とも呼ぶ。
とあります。

三昧耶を三摩地と解釈しているのがおもしろい。

等持は、
サンスクリット語:samādhi(三昧、三摩地)の訳。
精神統一によって、仏と我の身心が平等で安らかな状態にあること。
入我我入は、
仏と衆生の行い、言葉、思いが相応する境地のありかた。

大山先生は
悟りは十界平等で凡聖一切の位、
だから、生仏迷悟互いに無碍なり
故に三摩耶という、
とあり、
松長先生の『理趣経』では、
三昧耶を「悟りの境地」と訳しています。

挽いた豆をフィルターで濾すと、おいしいコーヒーになるように、
新鮮な豆腐を裏ごしにかけると、柔らかく優しく味わい深くなるように、
さまざまな欲が、
智慧の修行という濾過のプロセスによって絶対化し、
現実は真実で清浄である、
と肯定できるようになる、

そこへの筋道が説かれているのかな。

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