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何もしない

仏教と密教

小学生のころ、
留守番という時間・役割がありました。
ひとりで家にいるだけ。
おやつを用意してくれる時もあった。

ピンポーン、と誰かが来ても、
今、お父さんもお母さんもいない、
と言うのが仕事。
お留守番しているんだ、エライねえ、
と褒められます。

あーそーぼっ
と近所の友達が来ても、
今、留守番だからダメ
と断る。
どこの家でもそうでした。

留守番の間、
何をしていたのか。
何もしていなかった。
部屋にゴロンと寝転んで、天井を見ているだけ。
濡れ縁で腹ばいになって、土を見ているだけ。
時々、虫にちょっかいを出す。
基本的に何もしない。

今、何もしない、なんてできるだろうか。
念誦瞑想は、
何もしていないようにみえるかな。

ただ坐って
ただ唱えて
ただ瞑想している
思惟はしている。

脳内では、
膨大なビッグデータを、
超高速なAIが処理しているように、
常に何かを考えています。
それを止めれば、平安寂静の世界に入るのだろうか。

あの時は、どうだったのだろうか。

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