誰もがみな、人として天才であり、
かつ努力が必要、と考えています。
そして、
努力あっての天才です。
そうでなければ、最低限の勉強や規範がなおざりにされるかもしれない。
『菩提心論』と『釈摩訶衍論』はお大師さんが重要視した論です。
ふたつとも如来蔵思想が中心。真言宗常用の『理趣経』にも
「一切有情如来蔵」とある。
『菩提心論』には、
どうすれば無上の悟りを身につけられるのか
ありのままの計らいなき心を以て
完全なる仏の大菩提心に安住するべき
その大菩提心は、一切衆生が本より具有するものにして、
それがすなわち本有の金剛金剛薩埵である。
『釈論』では、
眼識耳識鼻識舌識身識意識の上に
現実世界の事実(全ての物は生じては滅する)のよりどころで、
差別区別のある現象を知る、生まれてから得た多一心識と、
真実世界のよりどころで、
平等無差別すべては一如であるという、元からある根本的な一一心識
をあげています。
これが如来蔵ということでしょう。
如来蔵思想では、衆生は如来の胎児ということで、
ぼくらは如来に蔵せられているます。
また、
僕らは如来を蔵しているともいえます。
この如来蔵は清らかとか汚れとかを超えて、
迷い愚かさ煩悩などを身につけたままの仏です。
僕らの心の中には天才的な素質があって、
それは他の愚かさによって汚されたり、滅せられたりしない。
でも、
これが常に堂々と正しく発動されるためには、
まとわりついたものによって暗くならないように、
危険な道へ行かないように、
努力が必要。
智慧のレベルで見れば、
個々の現象を分析して認識する努力が、
存在全体を直観的に把握する天才の芽を育てます。
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