『秘記』に、
自身即ち五分法身(愚かさの迷い=煩悩が無い身と心)なるがゆえに
法界も亦五分法身なり
一切衆生も亦復五分法身なり
この故に自身と法界と仏界と衆生界と皆無二平等なり
是の故に一成一切成と云う
とあります。
一成一切成を、辞書(コトバンク)で引くと、
〘名〙 仏語。華厳宗の説く教えで、
ある一つのものが完成するとき、一切すべてのものが完成し、
一人が成仏するとき、一切の人が成仏するということ。〔華厳経疏‐二〕
事理無礙とか事事無礙のことかな。
理は本体・真実
事は現実・現象
それが妨げなく共存している世界。
金獅子の喩をよく聞きます。
加藤博士の『佛教哲理の発達』から一部引くと、
金の獅子がある。
獅子のこれは頭であり、これは尻尾である。
これが目でこれが鼻でこれが足である。
と差別の事の法から説明する。
獅子と云う形から見れば
目も鼻も足も尻尾も頭も歴然と区別がある。
けれども
獅子の目なら目というものを何であるかと調べると
金でできているから目がそのまま金である。
理のほうから言えば獅子は即ち金であって、金は理にあたる。
目とか鼻とかいうのは事のほうから見、
波の法から見たのであります。
もし理のほうから見、
水のほうから見ればみな一つの金である。
ここが目であると思うけれど実はこれは金である。
どこまでが金であるかというと
この獅子の全部が金である。
してみると、この金塊全部が獅子の目であるともいえる。
獅子の目も鼻も頭も尻尾も同じ金であるから
毫も相隔てない頭も尻尾も円融無碍である。
そういうふうに考えます。
すると、
塵も宇宙もすべてが真如法界であるから、
塵は宇宙に遍満して全宇宙と一体である。
地球レベルで観れば、
富士山もヒマラヤ山の一部になり、
現象のすべてが無碍。
なので、
僕もあなたも宇宙であり仏である、
というように観想します。