仏像の表現は、経典儀軌に説かれています。
十一面観音がどのような姿なのかは、いくつかの経典にあり、
密教の修法で拝むのは、曼荼羅に表されているような、
坐像、十一面、四臂(手が四本)

頭上の十一面は、
正三面が寂像の相。鏡のように誤りなく映し出す智慧の姿、優しく見守る。
左三面は忿怒の相。それによって、差別を消す智慧、悪い子を叱る。
右三面は利牙の相。よく見極める智慧、説法して励ます。
後ろ一面は暴悪大笑面。愚痴を除き、事業成就を喜ぶ。
最上の一面は、いのちのありのままの智慧を表現した如来のお顔。
右の第一手は、数珠を持ち、いのちあるものに力添えする。
第二手は掌をこちらへ向けて、畏れを取り除く姿。
左の第一手には蓮華。見極めの智慧
第二手は軍持、隔てを無くす智慧の表現。
二臂像の場合、
左手に蓮華が入った軍持を持って表現されます。
軍持とは、口のある水瓶で、
戦いのときに持ち歩く水筒のようなもの。
人間は生き残るため、生き延びるために闘う本能があります。
その闘争心を軍持に入れ、
これを同じく本能である自性清浄の智水とします。
軍持は宇宙法界を瓶として、その中にすべてがおさまります。
水筒に水を入れて持ち歩き、喉が渇いた人を救うように、
軍持の水を出せば、愚かさの迷い熱悩を除く、
と観想します。
水が平等に流れるように、
水がいのちを潤すように、
智慧の水が迷いを悟りに替えます。
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