昔のブログ

密教、仏教、精進料理、望診法の

動画はこちら

境地

仏教と密教

迷いと悟り
地獄と極楽
善と悪
好きと嫌い
自分と自分以外

そういうものは本来同じである、
見かた立場の違いである、
という考えかたがあります。

最初の思想としては、そうなのだけれど、

心の観察が進むと、

迷いと悟り、
地獄と極楽の区別がつかないことではなく
心がクリアになるほど
違いははっきりと見えてきます。
それらは同じではない。
ただ、それに振り回されないようにする。

本来清浄ならば、
何がどうあっても特に問題ない。

自性清浄の海底にいれば、
欲望の大波が来ても問題ない。

自性清浄の大空にいれば、
迷いの騒ぎがあっても問題ない。

赤ちゃんの心に、
区別はあっても、
染まったりこだわったりはあるのだろうか。

お風呂に入って垢を除くとき、
垢よりも本来きれいな自身に目を向けます。

迷い汚れではなく
本来ある仏心悟り清らかを観て、そこに坐ろうとします。

タイトルとURLをコピーしました