迷いと悟り
地獄と極楽
善と悪
好きと嫌い
自分と自分以外
そういうものは本来同じである、
見かた立場の違いである、
という考えかたがあります。
最初の思想としては、そうなのだけれど、
心の観察が進むと、
迷いと悟り、
地獄と極楽の区別がつかないことではなく
心がクリアになるほど
違いははっきりと見えてきます。
それらは同じではない。
ただ、それに振り回されないようにする。
本来清浄ならば、
何がどうあっても特に問題ない。
自性清浄の海底にいれば、
欲望の大波が来ても問題ない。
自性清浄の大空にいれば、
迷いの騒ぎがあっても問題ない。
赤ちゃんの心に、
区別はあっても、
染まったりこだわったりはあるのだろうか。
お風呂に入って垢を除くとき、
垢よりも本来きれいな自身に目を向けます。
迷い汚れではなく
本来ある仏心悟り清らかを観て、そこに坐ろうとします。