密教の立場は、
自分と自分以外が無差別
自分と仏が無分別
凡聖不二
「自分」と「心」以外は、
現実にある真実。
そこで、
自分と自然ではなく、
自分は自然、
と考えます。
自分と仏ではなく、
自分は仏。
総てをそのように考えれば、
迷いと悟りではなく、
迷いは悟り。
智慧と慈悲ではなく、
智慧は慈悲。
身体と心ではなく、
身体は心。
達人になれば、
私は本性において、仏にほかならない。
私自身が一切の仏の総体(宇宙、自然)を、
自分の身体とをしている(ように見える)
私はそれであり、
あらゆるものがあるように、
私もある。
そこは明るく広々とした、
ホッとする世界。
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