『性霊集』には還源(げんげん)という言葉が何回か出てきます。
例えば
「性薫我を勧む、還暦を思いとす」(造大曼荼羅願文)
性薫は人々が元々持っている仏になる性質、仏の自覚
還源は、源へ還る、つまり仏に成ること
中川先生は
人の本性は、常に向上を願うて止まぬものである
と訳しています。
智慧、慈悲、仏心、生きる行為、存在とは何か、心とは何か、
そういうことを考えたり学んだりして、理解することができます。
でも、普段の生活では見失いがちで、
実の如く自心を知ることになっていません。
その、自心に直入する方法が三密行などの三摩地(瞑想行)
田中先生の「三昧耶戒序の理解」には、
心身に広大な仏のいのちを実感し、悟りを証する
とあります。
月輪観、阿字観などの三密行は、
誰でも次第通りにやればできます。
そして、
もし. よく日月の輪光を観じ、声字の真言を論じて三密の加持を発し、
四印の妙用を揮はば、すなわち大日の光明廊として法界に周ねく、
無明の障はたちまちに心海に帰せん。
無明たちまちに明となり、毒薬たちまちに薬となる
五部三部の尊、森羅として円かに現じ、刹塵海滴の仏、忽然として涌出せん。
この三昧に住するを火何時の三摩地と名づく(『三昧耶戒序』)
普段の生活で忘れていることが、
拝めば直下に現れます。
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