菩提を求める僕らが、
慈悲と智慧(向上心)の瞑想によって得られるのは、
自由な心です。
それは、
無意識に呼吸し、代謝し、血液が流れるように、
歩くときには右足と左足が、
交互に自然と出るように、
お腹が空き、眠くなり、
成長し、いつか死ぬように、
あるがままの世界にある心。
でも、
自分と仏の間に
自他の間に、
ほんの少しの仕切りがある限り、
つまり、
自分と仏はやっぱり違う、
自分と他人は平等ではない、
と少しでも思うことによって、
貪り、怒り、愚痴、邪見、慢心などの
愚かさの迷いが生じることに気がつきます。
そして、
悟りの心を形で現した満月や、
音で現した阿字を観想したり、
仏心から仏身になる瞑想(五相成身観)
などを修法することによって、
自分の心の源底にある
自由を体験します。