密教では而二不二(ににふに)という言葉が多く使われます。
而二は異なる
不二は同じ
例えば
慈悲と智慧
これは而二不二で、違うけれど同じ。
慈悲と智慧は違うものだけれど、
慈悲が無い智慧、智慧のない慈悲は危なっかしい。
モノと心も而二不二と考えています。
モノは心から生じ、心はモノを拠り所とします。
しかも、ともに孤立的に存在しない。
見るものと見られるもの。
これも、現実には違うけれど、
本体的には同じです。
そもそも、見るものが無ければ見られるものもない。
生まれながらに仏である、本から覚っている、
修行して悟る
これも而二不二です。
トレーニング精進努力工夫して、
本からの才能が「正しく」現れます。
原因と結果も同じ。
結果には、原因に似ているものと似ていないものがあります。
原因と結果は異なるものですが、
似ていないものでも、別なものではない。必ずつながっている。
この、原因と結果の束縛から自由になると、
自在の力、強い力を得る、
と『不動次第』にあります。