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真実の印象

仏教と密教

あらゆるものは本来清浄である。
不生不滅で、無自性空、
無差別無分別無着、
凡聖不二で、
我即法界。

みな本来仏である、
すでに悟っている、
ブッダになる
無限の可能性を持っている。

このような真実は、
固定化した何かのバックボーンではありません。

東京駅という起点があって、
すべての路線が伸びているのと違い、

大海に漂って時々波打つ、
大空に浮かんで、
動いている星がたくさん見える、
そんな感じ。


『大日経』に、
悟った時の三昧が説かれています。

「我、本不生を覚り
 語言の道を出過し、
 諸過、解脱することを得
 因縁を遠離し、
 空は空虚に等しと知り、
 如実相の智生ず
 已に一切の暗を離れぬれば、
 第一実無垢なり」

栂尾先生の訳では、

「われは本より不生なることを覚り
 言葉の道を出過し
 もろもろの過失をのがれることをえて
 因と縁とを遠く離れ
 やすらいは虚空に等しと知り
 ここにまことのさとりを生じた」

不生、つまり時間がない無限ならば、
言葉もなく、
過失もなく、
原因と結果もなく、
ありのまま。
そこは迷いの暗闇を離れているから、
汚れがない。

生物が太陽の光を必要とするように、
人は光明さとりを必要としている、
という立場では、

悟りは一切であって、
ありのまま。
そこから一切が生じています。

私たちには悟りしあわせが、
もともとそろっています。

そこに入る、帰る方法はいろいろあります。

すべてはそれ(自性清浄心=法界)であり、
そこにすべての仏と他者が存在しています。

だから、
私は他者。
仏、
宇宙法界、
全部が含まれる一心。

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