小野塚幾澄訳『吽字義』に、
「種々の方法によって、あらゆるものの[因縁]を観ずるに、
すべてのものが固定的な実体のあるものから生じたものでないこと、
すなわち[不生]であることが判明するからである」
とあります。
不生というものがあるのではなく、
無限と同じような状態で、
これ、という実体はない。
私や心などと同じです。
ですから、
円明を観ずること。
言葉や思惟は邪魔になるかもしれない。
あなたを見るだけ。
あなたを説明しない。
小野塚幾澄訳『吽字義』に、
「種々の方法によって、あらゆるものの[因縁]を観ずるに、
すべてのものが固定的な実体のあるものから生じたものでないこと、
すなわち[不生]であることが判明するからである」
とあります。
不生というものがあるのではなく、
無限と同じような状態で、
これ、という実体はない。
私や心などと同じです。
ですから、
円明を観ずること。
言葉や思惟は邪魔になるかもしれない。
あなたを見るだけ。
あなたを説明しない。