『大日経』に妄執の十種が説かれます。
幻、陽焔、夢、影、乾闥婆城、響、水月、浮泡、虚空華、旋火輪。
『金剛頂経』では、
あらゆるものは自心から生じるとし、
それらはみな、
幻と焔との如く
乾闥婆城のごとく
また、旋火輪のごとく
また、空谷の響きのごとし
とある。
『大日経』では、
心に浮かぶそれらは、
縁によって生じた実体のないものである、
だから執着できないはず、
と断じます。
『金剛頂経』では、
自心の源底を観察することで、
妄想の無い、
本来清浄の仏心および仏身を体験します。
心は自由自在であって、
生じたり滅したりしない。
はじめも終わりもない。
そもそも、それはない。
パンっと何かが弾ける音がして、
ハッと目が覚める。
その時の何もない状態が本性。
さあ、行こう!
という、さわやかな心を起こす。
そこから始まります。
世の中は私の心が作った妄想だらけ、
から離れます。