本連と呼ばれる数珠は108顆。
なぜ108なのかと云えば、
煩悩の数とか、
金剛界百八尊の象徴とか、
いろいろ説があります。
数珠は数を取るもの。
唱えながら数えるために使います。
ですから、
数えないなら不要。
真言念誦などの所作が無いころ、
瞑想修行のみの時代には、数珠は無かったでしょうね。
数珠を繰りながら唱え、
108遍唱えて、100遍ということにしています。
そして、
房の珠をつかって位を上げ、
千遍、一万遍と数えます。
煩悩の数が108というのは、無理やりですね。
煩悩は無量にあります。
だから、悟りも無量にある。
古代インドの聖典ヴェーダの書物、ウパニシャッドに108種類のものがあるから、
そこらへんは、関係あるのだろうか。
数珠は房を間にして54顆づつあります。
菩薩の修行ステージに五十四位があり、
それを象徴している、と解説することもあります。
仏教では、
本来悟っている、もともと仏である、
という立場と、
修行して、努力して悟る、仏になる、
というものがあります。
このふたつは不二です。
真言を唱えながら、数珠で数を取る、
それが修行・努力して迷いを断ち、悟りを証する道であり、
そこに到達すれば、帰りの54顆、仏となって他を助ける作業に入ります。
そのように考えます。
僕が普段使う数珠は、梅かカヤの木製、軽いから。
珠を通す糸は赤、観自在の象徴、唱えることが観達自在につながるから。
この糸は、絹、化繊、木綿などがあり、
絹はすぐ伸びるので使いにくい。
房は黄色、ほんとは金色なんだけれど、
固い菩提心である金剛の色。
いろいろ種類があるので、TPOに応じて使います。