この世は真実の現れ、
という立場があります。
色も形も動き音も香りもなんでも。
森も街も。
あなたも私も。
私の身体も心も。
密教には理智不二という言葉があり、
「両方の立場がひとつになったとき
完全な悟りが開ける」
と松長有慶先生の『理趣経』にあります。
理は客体 自分以外、宇宙の真理
智は主体 自分、可能性。
自分と仏、
自分と宇宙が不二、
それが悟りの世界。
おそらく、
自分が無ければ心は無く、
心が無ければ自分は無い。
心こそすべてのよりどころ
心から始まる。
身体と心はひとつである。
という立場なら、
身体が無くなれば、
心はどこにも無い。
どちらかのみ、
というのは考えにくい。
また、
心(かんじる おもう はからう わける)
が動ける理由が無い。
身体も自分(心)も、
本体無く、変化して、
生じては滅するもの。
常住なものは無い。
他人が私を見て、
その人の心に残る場合があり、
それも同じように生滅し、
繰り返されます。