「大乗という心の在りかたとは何か?」ということが、
『立義文』に説かれています。
心の本体は、すべてのものの真実の場所。
だれにでも、平等にあり、
迷っていても減ることはない。
心は可能性に満ちている。
中に仏(という可能性)を持っているから、
仏と同じ徳の姿がある。
可能性は無限である。
心内の仏(真実)が、
すべての原因、始まりと結果になるから、
どこへでも、
仏の境地へも行くことができる。
「大乗という心の在りかたとは何か?」ということが、
『立義文』に説かれています。
心の本体は、すべてのものの真実の場所。
だれにでも、平等にあり、
迷っていても減ることはない。
心は可能性に満ちている。
中に仏(という可能性)を持っているから、
仏と同じ徳の姿がある。
可能性は無限である。
心内の仏(真実)が、
すべての原因、始まりと結果になるから、
どこへでも、
仏の境地へも行くことができる。