仏像仏画の仏さまは、
後ろに満月を背負っています。
満月は、菩提心・悟りの象徴。
よく見ると、その満月はふたつあります。
額を中心とするもの、
これはチッタ(citta)と考えれられます。
慮知心と云い、モノと心といった場合の、物質の対となるもの。
対象を認識するすべての感覚、知覚です。
見たり聞いたり嗅いだりして、思いはからう心。
心臓を中心とした満月は、フリダヤ(hṛdaya)
心臓のことで、肉団心と云い、中心・心髄の意味もあります。
『般若心経』の「心」はこのhṛdaya。
心臓は心蓮であり、
心蓮は菩提心として花開きます。
その心蓮を持つ身体は仏身。
『別行次第秘記』では、
自心の肉団心、即ち道場と説かれます。
ここに、諸尊を招待する。
拝んでいる時は仏作仏業ですから、
仏が仏を招いていることになります。
これは、
仏を自らの心中に見出そうとする拝みかた。
ここに、蓮華や月輪を観想する瞑想法は、
密教ではポピュラーですが、『菩提心論』には、
「もし、行住坐臥つねにその心月輪の真相を見るに至れば、
それはすでに菩薩の初地に進趣したのである」
とあります。
脳と心臓の二か所にある心、
感情の心、精神の心、
凡人の心、ブッダの心、
知る心、知られる心、
二心は不二である、というのが密教の立場。
心は、
現実的には脳内の働きであり、
宗教的には法界に遍満している、
と考えています。
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