『大日経』具縁品に、
私が悟ったのは、
万物が本来的に不生であること、
だから言語表現を超越していること、
だから罪過を解脱していること、
だから原因と条件とに束縛されないこと
だから空の智慧が大空に等しいこと
とあります。
時間はあるけれど、
その本体は無い。
これが時間が、と決めるものが無い。
本体の無いものは、始まりも終わりも無い。
だから本不生である。
私はあるけれど本体はない。
これが私だ、というものはない。
本体のないものに生じるも滅するもない。
それは言葉で説明できない。
もとの清浄のままで、
汚れるということはない。
始めと終わりの無い、
ありのままなら、
原因と結果ということもない。
それが風のように体内を吹き抜け、
世間の風と一緒になるとき、
どれがどの風が区別が無くなり、
虚空のよう無限に広がります。
額真ん中と頭頂に集中し、
深く呼吸します。
自分という枠と、
それ以外の枠が無くなる。
慈悲と智慧が無限になります。
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