昔のブログ

密教、仏教、精進料理、望診法の

動画はこちら

仏教と密教

仏教と密教

食べられないもの 食べきれないもの

生活していると、そういうものがあります。差し上げられるものはもらって、もらってもらう。台所では、リサイクル料理で工夫しますが、限度がある。田舎暮らしでは、庭に埋めるという手段がありますが、都会では難しい。捨てるのは忍びない。心にもあります。...
仏教と密教

観音の怒り 不動の微笑み

観音さまは微笑んでいます。母親が幼子を見守るように。お不動さんは怒っています。自分中心の貪り怒り愚痴に染まっている人を。どちらも悟りの世界、寂静の平安へ連れていきます。観音さまもちょっと怒ります。子どもが知らずに危険な目に合わないように。こ...
仏教と密教

重なってひとつに

心を想像すると、無限で大きい。自分の肉体より、ずっと大きい。宇宙も包んでしまう。そうイメージできます。だから、慈悲が無くては生きてゆけない。すべてを包んでいるから。智慧が無くては転んでしまいそう、広すぎて。広いのは自分だけではないはず、みん...
仏教と密教

空であるはず

仏教の瞑想法は、無相観すがたなき 無分別観しきりなき 凡聖不二観おなじ 自身を構成しているものと、自分以外のそれは同じもの。それは無自性空である。するとどうなるのか、ただ、明朗。すべてを否定していく色即是空と、すべてを肯定する空即是色の世界...
仏教と密教

祈り

お盆の季節。お寺でも皆さんとお祈りしました。ライブ配信がうまく行きませんでした。ごめんなさい。読経だけの動画、お送りします。供養は相手を尊敬することですが、まず思い出す。そして、悪かったなあ、こちらが足りなかったなあ、と思うことを反省する。...
仏教と密教

どこにもない

心を知ることが悟りつまり仏教の目的ですが。知っていますか、心。僕はちょっと。あることさえ疑っています。『金剛頂蓮華部心念誦儀軌』には、よくよく観察すると、すべてのものは自心から生じている。おろかさも迷いも、それにつきそうものも、モノも心も。...
仏教と密教

普通の言葉

仏前では、おんまかきゃろにきゃそわか(十一面観音)あびらうんけん(大日如来)などの真言を唱えます。なぜ唱えるか、かっこいいから、とか、なんか気分がいい、とか。何遍も唱えれば、精神集中にはなります。南無大師遍照金剛もいいですね。これらは瞑想の...
仏教と密教

問題は何か

食欲や性欲は問題ない。人間以外は煩悩になっていない。貪欲が、迷いおろかさ煩悩にします。そこから、怒りも生まれる。それらは無知から生まれます。無を有と錯覚する、自と他を区別する。事実と事実以外を分けられない時、無知の力は大きくなります。資源 ...
仏教と密教

いつ生まれ変わるか

四有という、僕らが輪廻転生する四つの過程が『俱舎論』などに説かれます。1、死んでから次に生まれるまで(中有)2、生まれる瞬間(生有)3、生まれてから死ぬまで(本有)4、死ぬ瞬間(死有)1、の中有がわかりにくいので、7日間とか49日間とか、い...
仏教と密教

親と社会の驚覚

すべてのいのち、存在は仏になる無限の可能性を持っています。しあわせな如来になる素質がある。『理趣経』第十二段に、「一切有情如来蔵」『四無量心観』に、「遍緣六道四生一切有情 皆具如来蔵」と説かれます。僕らが本来仏であるのは、気がつかないことが...