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密教、仏教、精進料理、望診法の

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仏教と密教

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クモの巣

最近、クモの巣にかかると嬉しい。ああ、クモがいるんだ、元気なんだ。(違うかもしれないけれど)人間と違って、不健康なことはしない、無用な争いはしない。必要なことをして生きている。それが美しい。巣にかかると、煩悩が除かれるようで、嬉しい。小さな...
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放課後

自宅から小学校までは片道約2キロ。歩いて30分くらいかな。集団登下校の日もあるし、友だちとふたり、ひとり、の時もありました。車で送迎する家もあって、雨の日など、うらやましかった。僕らは、ひとりでは生きてゆけない身体、精神を持っており、親や社...
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不思議

サンスクリット語acintya:考えられざるの漢訳。仏教では、仏の悟りの境地は不思議の境界などと使います。わからない、ということですね。我が家の仏壇、おまつりしている観音さまが、だんだん右(西)を向きます。不思議だ。洗濯を母に頼むと、表にし...
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同じ

総ての子どもは大人の性質、可能性を持っています。いつか大人になる。だから、大人と同じ。総ての人は仏の性質(仏性ぶっしょうとか如来蔵にょらいぞうという)を持っている、という立場では、総ての人は仏と同じ。あらゆるいのち、存在も如来蔵だから、仏と...
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光の加減

手相人相を観る時、蛍光灯の下か、太陽光かでずいぶん変わります。色艶、かげ、生き生きとしているか。もある。光があれば何でも見えます。光が無いと暗くて見えない。光もひとつではなくていろいろあります。日月はひとつづつだけれど、水面に映れば、たくさ...
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迷悟の割り合い

煩悩と悟りはワンセットです。右と左、前と後みたいに。迷いがあるから悟りがあり悟りの裏に迷いがある。どちらかだけなら、どちらも無い。でも、迷っていたことが、覚りに変わることが、毎日あります。あ、これだ、という感じで。『菩提心論」では、無始むし...
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腕輪念珠

腕輪念珠・ブレスレット、私もいくつか持っています。時々人にプレゼントします。材質や大きさの種類が多く、どれにするか迷います。写真は、ラピスラズリと星月菩提樹。菩提樹のひとつは、メノウ仕立て。手に持つ念珠と違い、数を繰ることはしませんから、腕...
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結界

一定の区域を限ること。邪魔が入らないように、かな。ここからこっちは入っちゃだめよ、なんて。修行道場は、魔障の侵入を防ぐために、一定の境域を限って結界します。お大師さんは、高野山を七里結界しました。拝む場所、住む場所、世界全体、つまり、心内を...
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手についたとき

ウンチが手についたとき、洗えばいいだけです。自分のウンチでも子どものウンチでも、犬でもネコでも、トカゲでも、コオロギでも。同じです。洗えばいいだけ。手についたらウンがついいたと喜んでもいいけれど、ついただけ。洗えばいいだけ。ただ、それだけの...
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たまには

ヴェジタリアンです、と断っているのに、たまには、お肉もいいじゃないですか、と言われることがあります。他の宗教の人に禁忌の肉を勧めたら、大問題だろうなあ。人権侵害。アレルギーで、食べられないものがある人も少なくない。これも勧めたら問題というか...